分かれ道
始まりは平凡な夢を抱いて公立の高校受験を控えた中学三年生の時でした。
高校へ入学する少し前、2月頃とあるマルシェに行った時に講演に来ていたエコロジストの松本英揮さんと言う方の講演を聞きました。
内容は彼が世界を自転車で周りどういう出会いがあったか、それを通してどう感じたかを写真と共に見て行くというものでした。
講演の後英揮さんと少し話す機会があって彼が主催しているヨーロッパのエコ先進国を見て回る、通称エコツアーに誘われ、
親に公立高校合格したら行かせてあげる、と言われ(後々聞いたら違うらしいのですが)数ヶ月後めでたく?合格しその年の夏休みにそのツアーに行くことに。
最初は海外に行ける、というワクワクから行ったのですが、日本中から来た幅広い年代の人達と慣れないお酒を交わし、話を聞く度、自分が何をやっているのか分からなくなって、全然やりたい事をやっていないじゃなイカ!という風に頭の中がなったのですね。
特に年が一緒だったり1個2個違う位の同世代の奴らの話を聞いて心揺さぶられた記憶があります。シェフをめざしてイタリアに修行に行こうとしている女の子や、ギター職人になったギタリストの奴など。
↑フランス、ノートルダム大聖堂にて
当時、猫を被って自分を偽って生きていた僕は、国立大の経済学部入って銀行員になり安定した収入をなどとほざいていましたので結構な衝撃を受け、日に日に頭の中が変わり、帰る頃には学校こ勉強以外の何か楽しい事をしたい!と思うようになった訳です。
それからは学校をちょくちょく休んではマルシェに顔出したり、ギター弾いたり。授業は出ても冒険本を読んだり、寝たりする日々。
しまいにゃ欠点が大量に着き、楽しかった部活も辞めさせられ、周りの奴らからは異端扱いされる日々。今はもう何とかなるやって気分が強いので何ともですが、勉強が出来なくて、宿題もやりたくなくて授業中1人だけ名を指されたりするのは非常に居心地が悪かったですね。
学校の先生達は勿論そんな経験をしていないのでもちろん制止にかかり、頼りになるのはたまに行くマルシェにいる大人や本の中の人達、ヨーロッパで培った自由への憧れのみで、とりあえず学校はやめる方向で僕の意思は変わりませんでしたね。
↑高校を去る時は後腐れなく。(先生の隣でヘルメット被ってるのが僕です)今思えば学校を辞めることによって特別扱いされたかったのでしょうが。
親には酷く心配かけました(今も)が。そのあと通信制高校に編入し、レールなき道を、未開の森を進み始めるのでした。
(ニュージーで会ったイスラエル人のおばちゃんに、「貴方はジャングルを刈り進むマチェッター(切り進む者)だね」と言われたのを思い出します。)
色んな場所に旅に出て、人に会って、揺れ、迷い、逃げ、目を逸らして、寄り道して生きていますが、
今はいい意味での贅沢な迷い、不安(ワクワク)、出会いに恵まれているので後悔はなく。
寄り道こそ人生などと知ったような口を叩いております。
ぼちぼち、焦らず、淡々と。
織人
↑ニュージーランド最高峰アオラキ マウントクックを望む道。サザンアルプスに囲まれ山の上を走るようだった。