フィリピン見聞録3日目
フィリピンでは首都マニラがCovid19ウイルスによって封鎖されて久しい。
ついこの間までIsisゲリラと銃撃戦を繰り広げていた国だ、封鎖に反対、違反した者は射殺する、というフィリピン政府の強行さにはさほど驚かないけれど、
そのような緊張の中暮らしている人達がいるという事実は不思議と実感出来る。
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今度は蚊の痒さで目が覚め、結局二度寝もままならずに起きた。今日は朝から地震の被害が大きかった山の村に炊き出しに行くようだ。
朝食の後、支援物資をトラックに運ぶ手伝いをする。米、コーヒーのもと、トイレットペーパー、生理用品etc…自分たちの食料でさえも安定しないと言うのに、積極的に支援もしている。正直僕には考えられない。
飢餓や貧困から遠い場所で、十分すぎる程の物にまみれて生活している僕にその意識が分かるはずもない。ただ手伝うこと以外は考えられなかった。
全ての荷物を積み終え、トラックの荷台に乗って出発した。こちらの法律では荷台にのっても捕まらない。オープンカーさながら風を感じ、広大なバナナ農園や道行く人々を眺めて行くこと2時間程で山中の村に到着。
この村を抱える山の名前はアポ山と言ってフィリピン最高峰の2954メートルとか。村自体も相当高い標高にあって、ミンダナオ島が見渡せた。
村は急勾配な道路のすぐ脇に広場を構えていて、その広場を中心にブルーシートで覆われた避難住宅を囲んでいる。
MCLの子供達が広場の中心にあるステージの前に座ると、どこからか子供達がわっとやってきて、読み聞かせを黙々とも聞いていた。
↑チャンポラドの鍋。当然ガスなど無いので焚き火で炊いていた。
特にする事もないので昼食を作っている大人たちの所に行くと、のコーヒーを頂いた。
美味しいのだけどあまりに甘くて顔をしかめてると中園さんが、人間の文明発展と味覚の関係の話をし始める。甘さから始まって渋みとか苦味に落ち着くとかどうとか。
ホッと一息ついたあと、村長に話を聞けるというので、地震の被害状況を聞きに行った。
以下聞いた事
アバンドン村
全世帯137(内ビサヤ族4、マノボ族133)
村の裏山に地震で亀裂が入り、地滑りの危険性から政府が立ち退き要請。今避難している土地は何処かの教会が所有していて、寄付してもらった。
農業を営んでいたが、戻って仕事するのが怖いので現在は別にあるプランテーション農家へ出稼ぎに。
今最も必要なもの
・食べ物
・建材、ブルーシート
村長に礼を言って、持ってきた支援物資の配給を手伝う。見ず知らずの、どこの国から来たかも分からない僕に「サラ・マ!(ありがとう)」とはにかむお姉さん。
米袋と日用品の袋を赤子のように(家庭には本当に赤子が待っているのかも知れない)抱き、家に戻るお母さん。
名前を呼ぶと「ほら!あんただよ!」と名を呼び手招きしてくれるおっちゃん。
物資は足りなくなることは無く、村民全員に配られ、皆で昼食を頂く。昼食はチャンポラドというお汁粉のような食べ物で、米をカカオと牛乳、砂糖で煮たものだそうだ。
これまたとても甘かった、何故だかもう一杯飲みたくなったけれど。
最後に被害のあった村を見て回り、この村の観光地の滝で水浴びをした。
村はゴーストタウンと化していたが、何人かはまだ住んでいて、土産屋もやっていた。キーホルダーとネックレスを購入。
帰りは皆疲れてトラックの上ですっかり昼寝。
MCLに戻った後、マーケットに向かい、マグロと野菜を購入。夜ご飯はキニラというこちらで言う刺身のようなものを頂いた。
夜、中園さんと、長話をして寝る。