5日目 ニュージーランド 自転車旅行記

皆様お久しぶりです。このブログの存在を完全に忘れていて最近更新出来ないでいました(笑)が、このシリーズは細々と続けようかと思っていますのでぜひ覗いていってください(*^^*)

 

6時ちょうどに目が覚め、温めたオートミールとフルーツ缶を腹に入れる。

テントのジッパーを開けるとまだ日は完全に出切っておらず、海沿いのキャンプ場に泊まっていたので、ビーチまで歩きに行く事に。

 

f:id:origin8explore:20191231192341j:image↑ひんやりと優しい砂が足にまとわりついて朝朦朧とした意識を起こしてくれた。

 

太陽が昇った後、結露で濡れたテントやレインカバーを干し、食器を洗って、水を汲んで、荷物をまとめ始める。

刺すような朝日でテント類はすぐ乾き、ノロノロとキャンプ場を出る。入り口で丁度すれ違ったおっちゃんと挨拶を交わす。さわやかだったなぁ。

昨日少し頑張って雨の中走り続けたからか、エンジンが中々かからず10km地点のガソリンスタンドで小休憩。

ニュージーランドは、コンビニエンスストアがほとんど単体で存在せず、ガソリンスタンドと共存している場合がほとんどで、お客さんで賑わっていた。

すると、カフェの兄さんが話しかけてきて、フルーツやミニバーの入った袋を「持ってきな!」と頂く。今思い返せばお兄さんよ、その紙袋はあなたの昼食だったのでは?

ありがとう。

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昼過ぎ、充電をしようと思った僕は国道沿いのマクドナルドへ誘われる。大型タッチパネル端末で注文を半自動化されたカウンターで、ポテトとコーラを頼んでコンセントを探した。

充電している間はKindleでハマっているSF小説を読んだり、次のキャンプ場を探したり。

充電したかったとはいえ、長時間休憩すると動きたくなくなり、近くの街の観光案内所にあるというキャンプ場で1泊する事に。

まだ夕方に差し掛からないだろう時間帯に、スーパーで買い込んだ食材でよろけながらもホクホクとキャンプ場に向かうも、案内所で話を聞くとここは車(キャンピングカー)専用で、テント泊は出来ない、との事。

しかし、案内所のお姉さんが親切にも近場のキャンプ場を紹介してくれて、やや遠いがそのキャンプ場へと向かう。

キャンプ場に着いたのは18時過ぎ。やや遠かったが、浅瀬沿いにある小ぢんまりしたフリーのキャンプ場で、雰囲気が良かった。

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手洗いが併設されているトイレで全裸になって体を拭き、スッキリした体で日記を書いたり、夕飯を作ったりしているうちに夜がやってきた。

SNS投稿をしてから宿を探したりしているうちに眠気が襲ってきて就寝。

 

走行距離49km  総走行距離373km

 

 

 

 

 

ニュージーランドで思った事など。

地元の知り合いが作っているフリーペーパーにニュージーに行った時のコラムを載せてもらいました。その本文をブログにもシェアしようかと。読んでいたければ嬉しいです!

 

ニュージーでは主に4ヶ月くらいワイン農場で働いていたのですが、住んでいた小屋もワイン農場の敷地内(職場まで徒歩0分!)、しかも海まで歩いて3分。ワイナリーが目の前にあって、ワイン試飲し放題だし、夜は天の川見れるしで、最高の環境でした。

 

さて、そんな環境の中で初の1人暮らし。始めたワイン用ぶどうの収穫が終わり、仕事が無くなった頃に事件は起こりました。

何をしても良いけど、何もやる気が出ない。

そんな精神状態になったのです。

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最初は仕事が無くなり、帰国が見えてきたからだと思っていましたが、どうもそれだけでは無い。仕事をしている時は気軽に話しかけられたのに、ボスやガーデナーのおっちゃんと話すこともままならず、目の前にあるのにワイナリーや海にすら出ない。

人に見られるのすら嫌になり、時間と環境を無駄にしていると思うととてつもない自己嫌悪に襲われて、辛かったです。

 


何を悩んでるのか分からないほど悩みに悩んだ挙句、ニュージーランドに来た理由に問題があったのではと考えるようになります。

 


要はチヤホヤされたかったからなんです。

 


ニュージーランドの自然に、文化に、人に触れたい、知りたい!というのが動機なら問題は無かったのですが、「認められたい」「有名になりたい」といった理由で決めたに等しかったので、現地で認められ無い事やSNS上で反響を得れない不満がやがて不安になり、疑問を持つきっかけとなったのだと思います。

 


つまり、自分の意思では無く、他人の、自分が勝手に思っている世間の意見を通したのです。

 

同様に、上で書いた承認欲求と言われているものは、記憶を掘り返してみると、自転車で旅を始めたことに留まらず、いつの間にか自分の行動基準になっていた事が分かってきました。

しかも考え方は持続可能じゃありません。一時楽しくとも、際限ないので悪い意味で一生満足出来ないですし、人と比べて、周りの目を気にして、いつもどこか不安を抱えている。そんなの嫌だしつまらないですよね。

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どうすれば本当の意味で幸せになれるのかは今はハッキリとは分かりませんが、考えて、試して、失敗して、また考えて。そうやって地道に見つけて行くのだろうなと今は思っています。

 

面と向かっては言えないけれど、チャンスを与えてくれた両親に、本当にお世話になったNZ在住M家の皆さん、読んでくださった方々に、(ギリギリになってゴメンナサイ)あまいろ探偵団の皆さん、ありがとうございました。

 

ではまたどこかで。

 

織人

ゆる〜く再起動

ここ何週間か、やる気は皆無、希望も、どうせ無理だと湧かず、引きこもっていたのですが(今も) 徐々に気が上がってきたように思います。

高校辞めよっかなぁって考え始めてから感情の浮き沈みが激しくなって、年に何回か落ち込んでどうしようもなくなることがあるのですが、今回もその例に漏れず、

ただ、今回は事故して人と関わりたくないスイッチが入ったんだろうなーと今は思っていますね。

で、何してたかと言うと、週のほとんどを部屋でYouTube見たり、漫画読んだり。お母さんと気まずくなって、近所の川辺で朝から夕方までぼーっとしたり。

その状態を受け入れていれば長期化しなくて済んだのでしょうが、どうにも僕は怠惰な自分を許せなくて、心の中では自分を責めて、母を責めて、自分をこんな状態にやった環境を責めて、ネガティブスパイラルに陥ってた訳なんですね。f:id:origin8explore:20191126130456j:image

それが切れたのが先週末辺りから。とあるバイトに応募したり、10年ぶりに再開する小学生時代の先輩に会い、モモ庵の仲間と話をして、つい昨日、似たような境遇で頑張ってる友人と久々に会い、お互いの近況を話し合って、

そうやって話すことで自分に足りない事が具体的になって整理が着いてきたのでしょうね。今は徐々にやる気が湧いてきています。

落ち込むのはしょうがないです。その事を責められても、責めても不毛だし、なんの利も生みません。けど、その状態であり続けるのは酷く辛いです。時間がただ溶けていくのを見るのは辛いです。

これが自分だ!と割り切りたいし、

どんな自分でもいいんだ、と受け入れたい。

どうしようもなく繊細な心をなんとかしたい。

どうすれば良いんでしょうかね。今はただ、なんとなく決めた方向に向かうのみ。やらないよりかはマシな方に向かうのみ。

 

ふぅ、ではまた。

何かウジウジ云っている。

なんだかテンションが低いんです。

色んなことが面倒だけど、文を書いてると止まらなくって。物好きな方は覗いて言ってください。

 

僕は自分を正当化しようとして、自分の考えを肯定してくれる情報を集め、人と会い、それでいいんだ!と思って……

……なんて鼻の下を伸ばすのだけど、実際は頭の中で完結させ、行動に移さず脳内劇場で自己満足する。

しかし、時間が経つと不満が募り、不安が現れ、悶々とし始めるようで、最初に戻る。ループが始まる。

f:id:origin8explore:20191110173346p:image↑NZはNapier~Taupo間の国道で見た荒野。植林場の跡地だと思われる。広い空。なんの躊躇いなく息が吸える。何故だろう、恋しい。

 

最初僕の行動はこんな事が多いように感じる。学校を辞めた時も、ニュージーランドへ行った時も、ある意味強い思い込みをかけて、その思いを途切れさせないように行動に繋げていた。

上のような文は読んでみて「行動に繋げる?イイじゃん」なんて思うだろうけど、その行動は本当にすべき訳ではなく「行ったら何とかなるだろう」「それしかない」と自分を騙していたんですよね。

本当にすべき、勇気を出すべきラインを踏み込まず、妥協して、何となく他人からよく見えるだろうラインを見定めていた。要は目的が自分の上っ面の化粧だったと言うこと。

なので僕は褒められるのは嬉しいが、褒められるのを目的に自分が行動するのが分かっているので、まともに受け入れられない。

恥ずかしさの感情とはまた違い、

褒められて、上から目線になっている自分にイライラする。舞い上がってる自分に落胆する。

f:id:origin8explore:20191110224954j:image↑でも、地元の空も悪くはない。秋を感じる。

 

ああ。

そういう自分から自由になりたい。上辺の体裁を気にせず、世に溢れる様々な刺激を受けなくとも満足出来る。そんな人間になりたいなぁ。

そうなってから初めて、社会への貢献だったり、責任だったりが果たせるのではないかと思う。純粋に。

見返りを執拗に求める貢献ほど迷惑なものはない。

 

現実逃避で僕の人生は構築されているのだろう。妄想を現実にするのは難しいからできる最低のラインを攻める。それがやってのけるからタチ悪いのだろうね。

それに甘んじてしまう。

大変なのは変わらないけど。

 

独りになりたいってのを理由でまた旅に出てやろうか。現実逃避という名の安息の旅へ。

4日目 ニュージーランド 自転車旅行記

6時過ぎに起き、朝食にオートミールとナシ缶を食べていると、テントの隙間からくちばしが出てきてゴミ袋と手ぬぐいを引っ張っていくではないか!?

f:id:origin8explore:20191104121826j:image↑いたる所に歩いている。イタズラ好き。

コラー!!と追いかける。ニュージーランドの飛べない鳥、プケコだ。体は青く、クチバシはオレンジ色。大きさはニワトリぐらいだろうか。テント場の地域は保護区になっていて見たことのない鳥が沢山鳴いていた。

昨夜会ったアダムにおはようと言い、テントを片す。この先のWhangareiと言う街までロクなキャンプ場が無く、雲行き怪しいので、どうする?と話したり。パッキングを終え、どうしようかとウーンと考えているとアダムはもう先に行くようだ。握手を交わして見送った。

f:id:origin8explore:20191104112255j:image↑さよならアダム!

9時半頃僕も出発。雨の中ぼちぼちと漕ぎ進め、ガススタンドKindleで本を読んで休憩したり(ハイペリオンと言うSF小説を愛読していた)しながら坂をいくつか登る。

お腹を汗が伝う感触が残る。最後の峠を自転車押しおし登り、海岸線がハッキリと見える頂へ。あとはキャンプ場まで下りだ。達成感と清々しさの中写真を撮り、一気に下った。

今日走ってきた道とは打って変わって、景色が開け道は平坦に。雨も止み鼻歌まじりだ。

DOC(環境省)が管理するUretiti Beach Camping siteは13ドル、きめ細かい砂浜とフカフカの芝生のサイトは車だらけな国道を走りすり減った神経を癒してくれた。

トイレ、シャワーが近い木下にテントを張り、荷物をぶち込む。せっけんで頭、身体を洗い、冷たいシャワーを浴びる。ふるえたけれどホットシャワーに2ドルを払う気は無かった。

冷たいのを浴びたのもあって服がとても暖かく、ホッとしていつものようにツナ缶パスタで夕食を作り、狼と香辛料と言うアニメを見てから寝に入った。

(中世ヨーロッパっぽい世界を旅する行商人が主人公。後々寝れない夜などにお世話になる。)

 

走行距離88km 総走行距離324km

分かれ道

始まりは平凡な夢を抱いて公立の高校受験を控えた中学三年生の時でした。

高校へ入学する少し前、2月頃とあるマルシェに行った時に講演に来ていたエコロジストの松本英揮さんと言う方の講演を聞きました。

内容は彼が世界を自転車で周りどういう出会いがあったか、それを通してどう感じたかを写真と共に見て行くというものでした。

講演の後英揮さんと少し話す機会があって彼が主催しているヨーロッパのエコ先進国を見て回る、通称エコツアーに誘われ、

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北海道の名寄大学で参加させてもらった講義の様子(準備中)大学の講義でも実際に世界を回った自転車を持ち込んで聞き手をワクワクさせる。

親に公立高校合格したら行かせてあげる、と言われ(後々聞いたら違うらしいのですが)数ヶ月後めでたく?合格しその年の夏休みにそのツアーに行くことに。

最初は海外に行ける、というワクワクから行ったのですが、日本中から来た幅広い年代の人達と慣れないお酒を交わし、話を聞く度、自分が何をやっているのか分からなくなって、全然やりたい事をやっていないじゃなイカ!という風に頭の中がなったのですね。

 

特に年が一緒だったり1個2個違う位の同世代の奴らの話を聞いて心揺さぶられた記憶があります。シェフをめざしてイタリアに修行に行こうとしている女の子や、ギター職人になったギタリストの奴など。

f:id:origin8explore:20191104092140j:image↑フランス、ノートルダム大聖堂にて

当時、猫を被って自分を偽って生きていた僕は、国立大の経済学部入って銀行員になり安定した収入をなどとほざいていましたので結構な衝撃を受け、日に日に頭の中が変わり、帰る頃には学校こ勉強以外の何か楽しい事をしたい!と思うようになった訳です。

それからは学校をちょくちょく休んではマルシェに顔出したり、ギター弾いたり。授業は出ても冒険本を読んだり、寝たりする日々。

 

しまいにゃ欠点が大量に着き、楽しかった部活も辞めさせられ、周りの奴らからは異端扱いされる日々。今はもう何とかなるやって気分が強いので何ともですが、勉強が出来なくて、宿題もやりたくなくて授業中1人だけ名を指されたりするのは非常に居心地が悪かったですね。

学校の先生達は勿論そんな経験をしていないのでもちろん制止にかかり、頼りになるのはたまに行くマルシェにいる大人や本の中の人達、ヨーロッパで培った自由への憧れのみで、とりあえず学校はやめる方向で僕の意思は変わりませんでしたね。

f:id:origin8explore:20191104105513j:image↑高校を去る時は後腐れなく。(先生の隣でヘルメット被ってるのが僕です)今思えば学校を辞めることによって特別扱いされたかったのでしょうが。

親には酷く心配かけました(今も)が。そのあと通信制高校編入し、レールなき道を、未開の森を進み始めるのでした。

(ニュージーで会ったイスラエル人のおばちゃんに、「貴方はジャングルを刈り進むマチェッター(切り進む者)だね」と言われたのを思い出します。)

 

色んな場所に旅に出て、人に会って、揺れ、迷い、逃げ、目を逸らして、寄り道して生きていますが、

今はいい意味での贅沢な迷い、不安(ワクワク)、出会いに恵まれているので後悔はなく。

寄り道こそ人生などと知ったような口を叩いております。

 

ぼちぼち、焦らず、淡々と。

 

織人

f:id:origin8explore:20191104104844j:imageニュージーランド最高峰アオラキ マウントクックを望む道。サザンアルプスに囲まれ山の上を走るようだった。

 

事故った話

僕は小遣い稼ぎにUberEats という配達のバイトをしていて、今日もボチボチと京都まで自転車を漕いで行ったのですが、さっき事故を起こしてしまいまして。

停まっていた車にぶつかってしまったのです。

ハンドルに付けたスマホで地図を見て、いわゆるよそ見運転ですね。あ、ぶつかる。ってよぎった瞬間、ドン!ですよ。

 

最初は配達もあったので焦っていましたが、お客さんはここまで取りに来てくれて、車のオーナーさんも、警察官のお兄さんも柔軟に接して下さって、僕も気が動転する事はなく。

こう言っては反省の色が見えないですが、人身事故でなくて良かったなぁと。

本当にありがとうございました。

幸い自転車も体も軽い傷ですみ、何時でも何処でも事故は起こる、という見えなくなりがちな事実を身体で知ったのでした。

安全運転を、などと口々に言いますがやはり実感が無いと日々に潜むリスクを見落としてしまいますね。

忘れない様にしよう。

さて、それを踏まえてまた配達に行こうか。

この程度で折れてはしょうがない。

f:id:origin8explore:20191101140855j:image↑仕事が来るまでは本を読むか、文章を書くかして待つ。全く...今回の件については馬鹿げていたなと思いつつ。